2020/12/8グループセッション「光の海に溶けて②」グループセッションの感想

グループセッション ありがとうございました。

横になっていると、全身の細胞を点々で刺激させている!?エネルギーの変換をしてくれている感覚がずっとしていました。
終わり頃には背中側から一気に一段高い所に連れていってもらった感じで、
なんとも頼もしいワークでした。

どんよりあれこれ不安な時が長くなってしまっていた昨日と違い、
今朝は不安を感じつつも《テラ》と繋がってる感覚があり

木も、風も、土も、動物も、植物も、それぞれに意識を合わせているうちに
豊かな気持ちに変わり、
「あ~こうして感じられる体があることがありがたいな~」と思える私がいたことが
なにより嬉しく感じられた朝を迎えられました。

日々こんな繰り返しなんでしょうね、すべての時間を味わえる私になれたらと思います。

大切な時間を共に過ごせる人達がいること、このワークをしてくれる存在やますださんに感謝、ありがとうございました。

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グループセッションのことをうっかり忘れていて
何も感じずに過ごしましたが シェアをみて気が付きました。

そういえば今朝 なんだかいつもと違っていたなと。

なんだか スッキリしていて 余計なことを考えずに 自然に体が動いて
朝の支度も スムーズ。
いつもより早くさわやかに家を出ました。

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昨夜は光のワークをありがとうございました。
娘夫婦もいっしょと思い嬉しかったです。

眠りはしないものの、軽く緊張してたかもしれません。
不思議な感じで、終わりはパカンと目が開きました。
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「光の海に溶けて」グループワーク2日前、
突然友人から、独り暮らしの高齢の父親が動脈瘤と膵臓癌で入院、
ワーク前日、病院に呼ばれた兄から半年の余命宣告を受けた報告がありました。

わたしが伯母の余命宣告を受けた時の心境を語ると、
彼女は父親の余命宣告を温泉で聴いて、何か有れば連絡来るだろうとお酒を飲み続け
早朝4時にわたしに電話してしまう程泥水してしまっていたこと、
話すつもりなかったけど、話を聴いていて吐き出せたと言いました。

彼女の内には「不謹慎」のカテゴリーに入れた自分への「罪悪感」の固まりがあったのでしょう。

余命宣告を受けた家族が病床に駆け付ける見慣れたシーンが脳裏にあって、
なのに自分は酔っ払って何か有れば連絡来るだろうからと飲み続けた。
なんて酷い娘だろうと話し出しました。

こういう時はこうするもの、親孝行はこういうものとフレームを創っていた。
そこから外れる行為に戸惑っている。
だけど、それが親孝行で、それが親不孝なんて絞れると想う?

わたしは伯母の余命宣告を受け、これから短い間にどんなお返しが出来るんだろうと焦り、予定の何ヶ月も前に突然別れの日が訪れると、お返しが出来なかったと嘆いたけれど、
それはわたし側の勝手な想いに囚われていたエゴのひとつと想う。

自分が納得出来ることがしたかっただけ。

伯母が望んでいることかどうかとは別。
お返ししたければ、いつからでもよく、お返しの相手は伯母でなくてもいいと氣付いたと彼女に言いました。

自分が弱って、直ぐ駆け付け手厚い介護をしてもらい何も言えない氣苦労の立場と、
そんな時に飲んだくれてるバカ娘と言える立場、
どちらが親孝行で親不孝と決められない。

前者には遠慮が付き纏い、後者には、全くバカ娘なんだから!と言える氣ラクさがある。
ヒトの氣持ちをラクにさせることが出来る親孝行でもあるんじゃないかと。
あなたがその自分の行為を責めなければ、他者への寛容さも拡大するでしょう等々伝えていました。

たまたま今年、今月、伯母の7回忌です。

コロナ下で出来るのか、法事なんだから出来ないのはと、少し前からずっと氣になって、喪主として自問自答していました。

友人の相談というのは形式で、自分が発した台詞は全て、わたし自身へのこたえでした。
不思議なことに彼女の父親同様、伯母も膵臓癌だったのです。
みかねた伯母から返事が来たのかもしれません。

拘りの固まりは粉砕して細かい粒子とし、光の海に溶かしなさいと。。。

グループワークのタイミングに合わせてくれた粋な計らいと感じる体験をしていました。

のりこさんのシェアを受け、こんのシンクロ点
松果体
ワーク後半、太陽の光が後頭部から松果体を突き抜け前面に拡がるイメージの瞑想に入っていました。ありがとうございました。