5/9グループセッションの感想②

5/9グループセッションの感想②

グループワーク後の氣付きは、

また視界が開けた感。自由度が増して行ける感。目の前に現れた人は、ひとり残らず自分の人生の貴重なキャストと確信ドラマ。

グループワーク翌日、何氣なく耳に入って来ていたコメントが 実は自分へのメッセージだったと氣付いた時、パラパラと自分が剥がれて行く、視界が開けて先が見通せる感覚に浸っている。

それをシェアするには自分の暗い過去シリーズまで載せなければならなくなる。
今でさえ嫌な氣持ちはあるから当時は、かなりヤバかったと想う。ただ、公開することに抵抗無くなっている実感があるから、この場に吐き出してスッキリしようと想った。ご参考まで。

耳にしたコメントとは、

「ひとにしてあげる事を優先する行為の根底にあるものは、愛されたい欲求の傾向。してあげれば、してあげることで得られると想っているから励む。」

痛い💦アタシ10代の頃からソレだ。長女氣質丸出しで、家族の為、弟たちの為の優先パターンが身に付いて染み付いて遂にそれを当たり前にしてしまったから、自分はどーしたいを考えない様にしているうちにわかんなくなって、わかったら辛いから封印したのかもしれないし。そうすれば愛を得られると想っていたからしてたのか。
確かにな。そーかもしれない。手応えを感じられた時もあって その路線を保っていった。

それがすっかり当たり前になっていたわたしには、強烈なキャラクターの男女のキャストが現れて今もライブを観せてくれている。

そう、一太郎一姫。奴らの10代、そして成人過ぎた今でも、ヘビー級の自己中。なんで?よくそんなでいられるもんだと呆れの連続で来た。よりによって2人共。自分のしたい事を何より優先、楽しさ謳歌して、後ろめたさ無し、母親はどうか、大丈夫かなんて氣遣い見事に無いまま。それどころか、母さんは老後だけど自分はこれからの楽しい人生なんだからかまってらんないと言っちゃえる。わかんなかったから友だちには時々放蕩息子娘の笑い話でしていた。奴らがヘンなんだと想っていたからね。

それ違った。奴らは、愛を得る為には自分の意思をないがしろにする生き方を知らないんだ。自分の人生楽しむをあんたもやってみろよって、ずっと観せてくれていたんだね。軌道修正に入ったのは8年くらい前だったけど、なかなか壁は厚くて、勝手な2人を観ていても羨ましいとか妬ましい等浮かばず、清々しくていいなと想ってる自分を感じながら今やっと、

自分を優先するまでになった。自分たちが出来ているからアタシが自分優先選択してても平氣。強烈なキャラクターと言っていたが、手強いのは奴らじゃなく自分だったね🤣全く。白い光線は化けの皮を1枚剥がしてくれました。今月あと3枚は剥がれるのかな(笑)。

今のアタシは
したいからしてるって言える様になっている